気まぐれ日記 07年4月

07年3月はここ

4月1日(日)「3度目のディズニー・シーは15000歩・・・の風さん」
 ホテルでゆっくり朝食を摂ってから、電車で舞浜へ向かった。3度目のディズニー・シーである。
 天気予報は曇りだったが、爽やかな青空が広がっていた。見かける桜はどれもほとんど満開で、日頃超多忙な日々を送っている私に「今日ぐらいはのんびりと楽しみなさい」と微笑んでいるような気がする。
 天気が好いと、今度は人出が心配になってきた。人酔いするほどの混雑は、私は大嫌いである。案の定、舞浜駅を降りてからの人の波は尋常ではなかった。ただ救いなのは、春休みということで、子供たちが多い、つまり家族連れがほとんどだということだ。
 アクセスプラザでホテルにチェックインして荷物も預け、モノレールでディズニーシーで降りてゲートをくぐると、やってきたな、という実感が湧いてきた。5周年のディズニー・シーだが、ディズニー・ランドにも客をとられていて、入場制限がかかるほどの大混雑ではなかった。
 一緒のワイフは、朝からお題目のように唱えていた。
 「タワー・オブ・テラーのファスト・パスを最初にもらうんだからね」
 私は怖い乗り物は嫌いだ。
 「タワー・オブ・テラーに乗らなきゃ、ディズニー・シーに来た意味がないって!」
 ワイフは必死で歩く。
 ところが、私にとっては幸運なことに(ワイフにとっては不運なのだろうが)、入園した午前10時時点で、タワー・オブ・テラーのファスト・パスは終了していた。助かった〜。
 3度目の今回の方針は、なるべく初めての経験をすることとした。ゴンドラやウォータービークル、クラシックカーに乗ったし、3つのゲームワゴンすべてに挑戦したし(ぬいぐるみは一つも取れなかったが)、これまで入ったことのないショップに入った。レストランも初めての店を狙い、ディナーは豪華にマゼランズに入った。ところが、このマゼランズではちょっと失敗をした。手ごろなハーフボトルのワインを注文したつもりが、値段を見間違えてしまい、な、なんと5460円のハーフボトルを飲んだ・・・が、確かに値段にふさわしい味だった。もちろんコース料理も抜群に美味しかった。シンドバッド・ストーリーブックでは、フィギュアの軽妙な動きに見惚れたし、BIG・BAND・BEATでは二枚目の黒人青年の歌に聞き惚れ、ミッキー・マウスの超絶技巧的なドラマーぶりに驚嘆した。よくあの4本しかない指で、信じられないようなバチさばきができるものだ。誰にでもお勧めできる素晴らしいショーである。感動した。
 閉園時間が迫ってきたが、怖いものに乗りたいワイフの執念は、いささかも衰えを見せていなかった。
 「ファスト・パスとったんだから、乗ろうよ」
 ということで、センター・オブ・ジ・アースに乗るハメに・・・。これで死の恐怖を味わったとしたら、今日一日の楽しい思い出はすべて吹っ飛んでしまうだろう。
 閉園まであと30分である。
 ファスト・パスの威力はすごい。あっという間に順番が回ってきて、怪しげなビークルの最前列に押し込まれた。・・・。
 噴火口から夜空の中へ放り出されて、まっさかさまに落下〜。
 ところが、今回の風さんはゴーグルのようなサングラスをしていたので、しっかり外界の様子をチェックしていて、落下中の風景も楽しむことができたのである。やれやれ。死なないで済んだ。
 閉園ギリギリまで買い物をし、痛む足を引きずりながら(今月オープンしたばかりの)オフィシャルホテルの部屋に入って、腰の万歩計を外して見てみると、数字は15000を超えていた。よく遊んだものだわい。

4月2日(月)「東京3日目・・・の風さん」
 オフィシャルホテルは円形ドーム形状をしていて、内部は巨大な吹き抜け空間となっていた。最近、こういった贅沢な空間の使い方が流行である。朝食を摂りながらじっくりと吹き抜けの内面を観察すると、内側に剥き出して上下している3基のエレベーターの機能美に目が吸い寄せられた。極力曲線を排した縦横の直線で構成されていて、色もブラックのモノトーンである。機械が美しく見える瞬間を見事に造形していた。あらゆるものに美を尽くそうとする時代の要請か。デザイナーの必要性を、ここでも再認識する。
 ホテルのスーベニアショップでまた買い物をしてしまう。
 チェックアウトをし、JRで東京駅まで行き、コインロッカーに荷物を預けて表参道ヒルズへ向かった。ワイフサービスに余念のない風さんである。表参道ヒルズの建物も、内部は巨大な吹き抜けで、2重らせんの回廊が内面に配置されている。以前娘たちにアクセサリーを買って帰った「ガールズエンド」に寄って(知り合いの銀座の貴族の子はお休みだった)、イタリアンで昼食を摂った。
 いつ雨が降り出すか分からない、どんよりした空を心配しながら池袋へ向かった。来週トークセッションをやらせてもらうジュンク堂へ行くのである。
 ぽつりぽつりと雫が落ち出す頃に店内に駆け込んだ。文芸書のコーナーをチェックすると、鈴木輝一郎さんの新刊『戦国の鳳 お市の方』の棚に手製と思われる写真付きポップがはさんであった。うまいアイデアだなあ。感心する。
 トークセッションが行われる喫茶室を再チェックしてから、理工書のところに行く。拙著が平積みで並んでいたが、送ったオリジナルポップが立っていなかった。店員に係の人を呼んでもらい、挨拶するとともに、ポップのことを尋ねると、はっきりしなかった。ラミネートに出しているのではないか、という。
 早々にジュンク堂を後にした。本降りになる前に帰りたかった。
 JRと新幹線と名鉄を乗り継いで夕方帰宅した。
 実は、今日は、愛工大の入学式だったのだが、事情を話して欠席していた。前もって組んであった予定を優先させたのだ。また、この日は、長女の入社式の日でもあった。長女はそのまま新入社員の合宿研修に向かっている頃だ。はたして社会人生活の荒波を乗り切って行けるだろうか。不安な気もするが、ここ2年間のバイトぶりや専門学校生活を振り返ってみると、年齢以上のたくましさを感じるから、案外、大丈夫なのかもしれない。
 この夜は、残った家族でラーメン屋に食べに行った。万歩計は13000を超えていた。

4月4日(水)「正念場・・・の風さん」
 会社の仕事が緊迫度を増している。ありとあらゆる局面で、正念場になっている。本当に今ががんばりどころかもしれない。
 土曜日のジュンク堂トークセッションのために、会社のプロジェクターを借りてきた。講演は基本的にパソコンとプロジェクターでやっているので、装置がありません、と言われると焦ってしまう。東京で誰かに用意してもらおうかと思ったが、なるべく他人に迷惑をかけたくない人なので、こちらから持って行くことにした。借りたプロジェクターは年代物だが、小型で使い勝手はいい。
 帰宅してすぐ、社会人入学する愛知工業大学から電話があった。大学のパンフレットに登場してほしいという依頼だった。残念ながら私を作家と知って依頼してきたのではなく、私の勤務先の名前を出したいらしい。そりゃそうだろう。連結売り上げ3兆円を超える、とんでもないエクセレント・カンパニーである。私は承知したが、気になるらしく、会社名が出せるかどうか確認しておいてほしい、とのことだった。やはり私個人よりも勤務先の知名度を利用したいのだ。

4月6日(金)「終日、先生をご案内・・・の風さん」
 昨日は午後本社へ出張し、会議が終わったらそのまま直帰するつもりだったが、問題が大きくなり過ぎて、再び製作所へ戻った。定時後も打ち合わせになってしまい、帰宅が遅くなった。そのため、7日の準備はもとより、片付けたかった雑用もさっぱりできなかった。
 今日は、社会人入学する愛工大大学院のガイダンスの日だったが、その前に愛工大の大野先生に勤務先を見学してもらう日に決めてあった。そのために、緻密なスケジュールを私自ら組んであった。
 まず、最寄の駅から電車で出発した。名古屋から来られる先生が乗っている電車に途中から乗車して、本社のある駅で合流した。
 「おはようございます」
 駅前に社用車が来ていて、本社ビルへ移動し、製品展示室をご案内。付き添ってくれた女性がとても感じの好い人で、また説明もうまく、聞き惚れてしまった(おっと、私は客ではなかった)。
 その後、応接室で、社内トップ専門家によるラインシミュレーションの紹介をし、一緒に昼食。
 午後は、社用車でグループ会社へ移動し、ロボット学会から賞をもらったミニ組立工場CACを、開発者(このために本社から来てもらった)から説明してもらった。続いて、また社用車である製作所へ移動し、そこでは精密学会から賞をもらった循環型生産方式を、見学していただいた。途中で、開発の中心人物だった者も本社から合流して、しっかり内容を見てもらった。
 夜は、電車で名古屋へ移動して、上司の部長も交えて懇親会。
 先生から大学へ提出する書類を受け取った。来週中に出さなければならない。
 午後10時過ぎに帰宅したが、かなり疲れていた。それでも老体にムチ打って、ジュンク堂トークセッションのためのスライドを用意し、それからワインを飲んで寝た。

4月7日(土)「ジュンク堂池袋本店でトークセッション・・・の風さん」
 会社から借りてきたプロジェクターとアシュレイを接続し、昨夜用意したスライドを投影してみた。うまく行った。
 それから、近くの酒造会社直営店へ行って、土産を購入してきた。
 荷造りをして、簡単に昼食を済ませて、そろそろ出かけようとしているときにジュンク堂から電話がかかってきた。
 「送っていただいた配布資料用のPDFファイルが印刷禁止になっているのですが・・・」
 それで、急いで書斎へ駆け上がって、くだんのPDFファイルを開いて「印刷許可」に変更し、再度メール添付して送信した。
 もよりの駅を14時少し前に出発する電車に飛び乗り、池袋駅に着いたのは、17時過ぎである。
 今夜のトークセッションの会場となる4階の喫茶室に着いてビックリ仰天。鈴木輝一郎さんから、でっかいお祝いの花飾りが届いていたのだ。やっと鳴海風もジュンク堂というメジャーな書店でトークセッションをやれるようになったことを、純粋に喜んでくれているのだ。むしろ私の方が超うれしいのが正直な感想なのだが。
 持参したアシュレイとプロジェクターを接続して、ミニ講演会場作りをした。なかなか照明を消して、各テーブルに電気スタンドを置き、なかなかムーディーな雰囲気になってきた。
 小さな会場だが、続々と聴講者がやってきた。知り合いの建築家のYさん、編集者ご夫婦、会社の仕事でお世話になっている方も花束持参で、そして、ジュンク堂の店員の方までが、早番で明けた後の時間を利用して、わざわざこの有料のトークセッションを聞きに来てくれた。拙著も読んでくれたという。ありがたいことだ。
 それにしても、受付に花飾りがあって、実に立派だ。
 講演内容は、1週間前の「市民講演会」とほぼ同じだが、途中で質問OKにしたら、鋭い質問が次々に浴びせかけられて焦った。そのほとんどが数学に関する質問だったので、ちょっと困った。もっと勉強しておかなければ。
 講演後は、やはりサイン会になった。けっこう売れた。こんなにたくさん買ってくれるのなら、著者オリジナルのプレゼントを持ってくるのだった。と思っても後の祭りだったが。仕方なく、名刺を差し上げた。
 講演後、知り合いの建築家の方たちと、東京駅丸の内口にあるオアゾで一緒に夕食を摂った。わざわざ私に付き合ってくれたのである。ありがたいことだ。
 超多忙なので、その夜のドリーム号で帰途についた。寝ている間に名古屋に着くのである。
 就寝前に、最近購入したばかりのケータイでワンセグにアクセスすると、多くのチャンネルで映像受信できる。すごいな、と思いつつ爆睡・・・。

4月8日(日)「帰宅しても超多忙・・・の風さん」
 早朝の名古屋はいかにもけだるそうな空気が街中によどんでいた。
 帰宅してシャワーを浴びてスッキリしたら少し仮眠したくなったが、とにかく多忙な人なので、我慢して片付けに専念した。昨夜のトークセッションで、しばらく講演は中断するはずだ。
 午後、このところすれ違いが続いているワイフとランチを食べに出かけた。その前にガソリンタンクがカラッケツのミッシェルに給油も忘れなかった。イタリアンをたっぷりお腹に詰め、帰りにケータイショップに寄って、不具合を見てもらったのだが、原因は私の操作勘違いにあった。超恥ずかしいー!
 夕食後、やはりモーレツに眠くなり、そのまま午前1時半まで寝てしまった。それから必死に起き出して、書斎で雑務処理を継続。
 社会人入学といえど、学生になることに間違いない。だから学割で定期が手に入るのである。もよりの駅から名古屋までの定期券の購入価格をインターネットで調べてみると、半年定期の場合、23回往復すれば元がとれることが判明した。ひと月に4回往復である。出張、通学、作家活動、プライベートとそれぞれ1回ずつ名古屋へ行くことはあるから損はないはずだ。
 愛工大へ9日までに提出する書類などがあり、雑務は延々と続いた。
 久々にたまっていた経費処理もした。
 再び就寝したのは午前5時過ぎである。

4月9日(月)「通院から出張へ・・・の風さん」
 このところ一定の間隔で通っている総合病院へ朝から出かけた。最初の診療科はスムーズに終えることができ、次は10週間後で良い、ということになった。ところが、次の診療科でべらぼうに待たされた。混雑していたわけではない。基本的に予約制なので、患者は競って病院へやってくるわけではないのだ。問題は医師にあり、やけに丁寧に時間をかけて診察しているみたいなのだ。
 1時間以上待たされて、ようやく呼ばれた私は、てきぱきと医師の質問に答えて、さっさと診察を終えようとした。そして、最後に、
 「**科の次の予約が10週間後になっていますので、同じ日にできませんか?」
と提案したところで、肩透かしを食らわされた。
 「今処方している薬は最長で5週間分しか出せないのです。しかも、2回に1回は血液検査を義務付けられています」
 「それなら5週間後でお願いします(分かった分かった、もうどうでもいいから、さっさと終えてくれ)」 
 会計を済ませ、薬が出てくるのを待つ間に、愛工大の事務室へ電話して、今日、提出物が出せないことを話し、明日に延長してもらった。
 薬をもらった私は、急いで病院を後にし、本社の駐車場にミッシェルを置いて、途中少し走って、最寄の駅から神奈川県へ出張に出かけた。昼食は名古屋駅のホームの立ち食いそばだった。
 神奈川県の某社を営業と一緒に訪問し、かなり長時間の打ち合わせをした。それで、あらかじめ入手してあった帰りの新幹線の時刻を過ぎてしまい、新横浜から自由席で乗り込むハメになった。しかし、意外なほど空いていて、帰りはじっくりと読書に専念できた(今年16冊目読破)。
 帰りに学割を使って名鉄の定期券を購入した。
 ミッシェルで帰宅したのは、午後10時をだいぶ回った頃である。

4月10日(火)「頑張る高年学生・・・の風さん」
 初夏のような日差しが降り注ぐ中、昨日、出張のために提出できなかった学籍簿や身上明細書などを持って、愛工大八草キャンパスへミッシェルで行ってきた。
 駐車するために正門に寄って、学生だと名乗ったら、変な顔をされた。何度も私の身分証明書の写真と私本人を見比べて、
 「学生さん?」
と疑惑の眼差しを向けてくる。世の中めまぐるしく動いているのだ。昨日の常識は今日の非常識になりかねない(何言っているんだ〜?)。ま、とにかく、最後は信用されて、学生駐車場に駐車できたが、大学の本部に行く用事だったので、来客駐車場でも距離的には変わらなかった。
 初めて学生がたくさんいるときにキャンパスを訪れたのだが、さすがに工業大学だけあって、男子生徒がほとんだ。すれ違う学生が、思わず頭を下げてくるのは、こっちを教官だと勘違いしているからだ。面白い。大学の職員までが、挨拶してくるので、鷹揚に応対した(なんて生意気な学生だろう、私は!)。
 昼間で少し時間があったが、面白いので学食で昼食を摂った。ここでも、私を何者だろう、と学生らが好奇心の目を向けてくる。
 (私は小説家の鳴海風だ)
と叫んでも誰も知るまい。悲しい現実だ。
 往復で3時間もかかった。有料道路代もバカにならない。やはり、社会人学生は、手に入れた定期券を使って、名古屋の本山キャンパスへ行くのが無難か。
 今日は、ちょっとした事件があったのだが、詳細は書けない。とても悔しい出来事があったのだ。しかし、この悔しさをバネにして、また頑張るしかない。
 今日は、多くの同僚が残業し、私も帰宅が午後11時近くなった。
 寝る前に、PSPで「難」レベルの数独を3回挑戦し、とうとう7分を切り、長女の最高記録を破った。

4月11日(水)「終日身辺整理・・・の風さん」
 昨日の事件の後遺症もあり、終日、自席でおとなしく身辺整理に集中した。
 いよいよ吹っ切れて、頭をしっかり切り替えて、また新作に集中しなければならない。ただし、昨日、短い原稿依頼があったので、それはきっちりとこなさなければ。

4月12日(木)「寝不足・・・の風さん」
 午後から本社へ移動して会議になった。このところ寝不足が続いているので、けっこう疲れる。しかし、会社の仕事が現在ヤマ場にさしかかっているので、あまり手抜きはできない。とは言え、限界はあるから、ギリギリの生活が当分続きそうだ。
 帰宅は午後11時を回った。ちょっとやばすぎる。いきなりパジャマに着替えて夕食を摂り、メールチェック後、入浴(カラスの行水)を済ませた。
 昨夜から、鈴木輝一郎さんの『戦国の鳳 お市の方』を読み始めた。小気味よいテンポの文章で始まっていて、引き込まれる。どんどん読み進んで行きたいのだが、そうしていると夜が明けてしまう。今夜の続きは、また明晩だ。

4月13日(金)「学割定期使い初め・・・の風さん」
 名古屋へ出張で出かけた。初めて学割の定期を使ってみた。なかなかいい気分である。
 今日の会合には様々な会社から人が集まっていて、例によって、というのも変だが、エンジニアとしてよりも小説家鳴海風の売り込みが多かった。たくさん持参した名刺も、鳴海風は激減し、会社の名刺は少ししか減らなかった。
 4月から、3足のワラジというか、一人三役というか、あるいは三重人格の生活が始まっている。今日の会合では、まさにその3つを使い分けながらの仕事となった。その中で、マルチ人間、鳴海風としての講演の話しもあり、うまくいけば三重人格者として秋に講演できるかもしれない(笑)。
 帰宅したら、恐らく東北大学名誉教授の土倉先生からだと思うが、分厚い本が届いていた。藤原松三郎先生数学史論文刊行会編『東洋数学史への招待』(東北大学出版会)である。論文集で、目次を眺めていたら、久留島義太に関する論文があった。オイラー関数のことが出ている。もしや、と思って、当該ページを開いてみると、調べようとしていた事柄がズバリ出ていた。国会図書館で調べようとしていたことが1件減った。いただいたものは、まるで電話帳のように分厚い本だが、気になるところを早く拾い読みした方がよさそうだ。

4月14日(土)「二日連続で学割定期使用・・・の風さん」
 大野先生との研究テーマ打ち合わせも兼ねて、本山キャンパスへ出かけた。学割定期の活用2回目である。
 本山へ出かけた本来の目的は、愛工大の大学院用パンフレット(私が登場する!)の取材を受けるためである。
 最初にプロのカメラマンに写真をたくさん撮られた。こういったのは苦手なので、きっと、どんな写真が掲載されても他人に自慢はできない。だから、写真は期待していない。開き直っている。
 インタビューは、プロのライターだった。私が小説家でもあることを伝えたので、もしかして小説家希望ですか、と尋ねると、そうではないという返事だった。もし小説家希望のライターだったら、取材はやりにくくなるだろうと思ったが、いくらか安心した。
 質問はやはり私の入学の動機であり、それがなぜ愛工大大学院で経営情報科学専攻なのか、という点を掘り下げてきた。27年前に東北大学大学院で機械工学専攻を修了していることからの不連続性に、ライターは着目していたのだ。なかなか鋭い指摘である。しかし、回答は単純明快だった。東北大学で学んだのは数年間であり、会社でひと筋に従事してきたことは、地元にある大学で経営工学の学位を目指すことにスムーズにつながるのだ。

4月15日(日)「体を休めながら読書・・・の風さん」
 超多忙の後遺症で疲労がたまっていて、今月も新鷹会は欠席。
 今朝はゆっくりと起きたが、蓄積した疲労は簡単には消えない。
 朝刊を読んでいたら見開き2ページにわたって私学の宣伝がたくさん載っていた。よく探してみると、長女が卒業した名古屋調理師専門学校も、長男が入学した名古屋芸術大学も、そして私が入学した愛知工業大学もあった。なーんだ、親子で私学にお世話になっているじゃないか(笑)。かつて、受験戦争に身を置いていた頃、お金のかかる私学を嫌っていた私が、40年近くを経過して、まるで宗旨替えしたみたいだ。人生とは、先が分からない。
 ブランチ後、手紙を2本書いた。それだけで、再び体がだるくなる。ベッドに横になりながら、鈴木輝一郎さんの『戦国の鳳 お市の方』の続きを読む。スラスラ読めて面白い。女性の視点での戦国の武将が浮かび上がる。途中で何度か睡眠をとりながら読み進む。だんだん寝たきり老人になりかかっているな(笑)。とはいえ、今夜中に読み終えられそうだ。読書している時が至福の時。
 
4月16日(月)「眠くても頑張る風さんの巻」
 最近、会社の仕事がヤマ場にさしかかっている関係から、帰宅の遅い日が多い。今夜も11時近くに帰宅して、それから夕食やら入浴やら、メールチェックやらした。
 昨日の新鷹会の勉強会では、久しぶりに野村敏雄先生が出席されたとのことである。そして、「飲むら先生」の異名通り、2次会でお酒も召し上がって元気でお帰りになられたらしく、大病からよくここまで復調されたと、感動と喜びにたえない。
 また、勉強家は全部で17名もの出席があり盛況だったとのこと。こちらも喜ばしいことだ。当分私は、自分の仕事に注力しよう。
 私は「咸臨丸子孫の会」の特別会員になっている関係から、近々「開陽丸子孫の会」が発足するという情報を得た。月末の発足式にある注目している人物の子孫の方が出席されるとのことだったので、どうしてもその方にお目にかかって、有用な資料をお持ちでないか、尋ねてみたくなった。
 メールチェック後は、しぶとく読書もした。昨夜で『戦国の鳳 お市の方』を読み終えたので、今夜から、諸田玲子さんの『奸婦にあらず』を読み出した。500ページもある大作で、書き出しは緻密な時代背景の説明と、主人公村山たかの女の情念を感じさせる描写である。

4月17日(火)「連日の残業でへろへろ・・・の風さん」
 昨夜の深夜読書の後遺症で、今朝は目覚めてもすぐに起きられなかった。それで、会社に電話してゆっくり出社させてもらった。こういう融通の利かせ方ができるので(?)、私はかろうじて死なないでいられるらしい。
 「開陽丸子孫の会」について知りたくて、「咸臨丸子孫の会」で知り合った榎本武揚の子孫の方に電話してみた。すると、会の体制や運営方法などについて、まだ明確に決まっていないらしく、発足式もごく内輪でやりたいとのことだった。
 いずれにせよ、私の目的は、注目しているある人物の子孫の方に会えるかどうか、である。そのへんの可能性について、後日教えてもらえることになった。
 今夜も帰宅は遅く、午後11時を過ぎた。

4月17日(木)「最後の『ラランデの星』の書評・・・の風さん」
 明日の重要会議のために、夜遅く部長が製作所まで来てくれて、資料の検討会をした。
 その中に、部長が実際の観測写真をデータとして入れよう、と言い出し、すぐに本社の部下のケータイへ電話を入れて指示をした。なかなかの執念である。最近の私はこの執念に欠けている(反省)。
 疲れて帰宅すると、恐らく最後になるかもしれない『ラランデの星』の書評のコピーが届いた。
 日本数学史学会発行の「数学史研究」(通巻191号)で、書評を書いてくださったのは、前橋工科大学の小林龍彦教授である。
 先日、江戸東京博物館でお目にかかったとき、しみじみと
 「若い頃は歴史研究に没頭していたが、ようやくこの歳になって、研究者の業績だけでなく、その周辺のことに神経が行くようになった。偉大な業績を上げた研究者も一人の人間であり、そのことを想像したり知ることで、初めて納得できることがある。鳴海さんの作品にはそれが描かれている」
 と語られた。それを聞いて、非常にうれしかった記憶がある。ベストセラーにならなくても、読んで感動してくれる読者がいる限り、私は命を削ってでも書かなければならない。
 書評のコピーは早速、出版社の編集長へファックスした。

4月18日(水)「重要会議の準備余談・・・の風さん」
 睡眠不足の中、早朝から本社に出張した。今日の重要会議のために、同僚がもう出社していて資料作りをしていた。
 朝の挨拶のあと、尋ねてみると、
 「6時から資料作成をやっています」
 と言う。頭が下がった。
 その同僚の部下も元気そうに仕事をしていて、近寄って声をかけると、
 「一晩くらい寝なくても平気ですから」
 と言う。頭が下がった。
 昨夜部長が指示した写真も届いた。
 そこの上司に、
 「昨夜、部長が電話したとき本当に本社にいたの?」
 と聞いたら、
 「実家にいたんですよ」
 と笑う。そこから部下へ電話して、今朝の仕事を指示したらしい。ケータイの威力というか、サラリーマンにとって恐ろしい時代だ。
 副社長以下が出席する重要会議を、何とか目的を果たして終えてから、製作所へ戻った。
 これから明日の準備である。
 へろへろの私は、朦朧とした頭でメールの山崩しに余念がなかった。
 帰宅は10時を回った。

4月19日(木)「今夜もおとなげない風さんの巻」
 私の職場には小さいながらも製造部門があり、今日は顧客の工程監査を受け、何とか「ライン認定」を勝ち取った。なかなか険しい道のりだった。そんな厳しい工程監査を受けている一方で、立場上、その顧客に対して強気の交渉もしなければならなかった。
 従順そうな仕入先を演じながら、一方で、したたかなネゴシエーターも務めるという、今日は役者の風さんだった。
 最後のメールを送って、オフィスの戸締りをして退社した。
 帰宅は午後11時を過ぎた。
 着替えようと寝室に入って、ぶったまげた。信じられないくらい雑多な物が片付いてスッキリしているのである。
 「どんどん片付けているうちに、箪笥の中の衣服まで整理して、結婚する前の思い出の服も、どうせもう着られないから捨てたわよ」
 とワイフが言うので、
 「これで、すぐ僕が死んだらシャレにならねえなあ」
 過労死を匂わせたら、少々本気にされた。
 食事をして、クワガタのクワタンにも餌をやりシャワーを浴びたら、もう寝るしかない・・・筈だが、PSPに手が伸びた。
 久しぶりに数独のタイムトライアル「KAZUO」をやりたくなった。この間泊まりに来ていた長女がもしかすると記録を書き換えて帰ったかもしれない。この数独には、難易度のランクがあり、やさしいものから「易」「並」「難」「極」となっている。
 この間、私が新記録を作った「難」をチェックしたら、その記録がベストテンの10位に落ちていた。つまり、上位9つの記録が長女によって占められていた! 続いて、「極」をチェックすると、上位7つがまだ私の記録のままである。私は「極」を選んで記録に挑戦した。
 30分後、「極」のベストテンはすべて私の記録で塗りつくされた。安心して寝た。

4月20日(金)「歯磨きがヘタな風さんの巻」
 本社へ出張したついでに、3ヶ月ぶりに歯医者へ行った。最近超多忙なので、何を言われるか分からない。開き直った気分で診察台へ。
 「ははーん。いつものところにしっかり歯石がたまっていますね」
 「ふみまへん、どうひてもほこがうまふみはへまへん(時間がなくってじっくり磨けねえんだよ)」
 しっかり掃除をされた後、女性アシスタントから歯磨きの指導を受けた。
 「ここは段差がありますから、こういう風に角度をつけて磨くといいんですよ」
 私は黙って頷く(毎晩磨きに来てくんねえかなあ)。
 今夜も帰宅が11時近くなった。
 眠くて死にそうな状態だったが、電動歯ブラシ、歯間ブラシ、糸楊枝を使っていつもより奥の方を力を入れてゴシゴシ磨いた。
 終わったが、あまりスッキリしない。それどころかまた舌が痛くなってきた。こういうのをトレードオフというのだろう。

4月21日(土)「錆が落ちると鼻の下が伸びる理由・・・の風さん」
 久しぶりにたっぷり寝て起床した・・・が、体がコチコチで非常に不快である。
 外は気持ちよく晴れていて、試しに窓を開けてみると風もほとんどない。そのままにして玄関から出てみると、絶好の外出日和である。
 しかし、今日こそは執筆再開と決めていたので、書斎にこもった。
 それでも午前中は、きたる29日の開陽丸子孫の会で調査中の人物の子孫と会うかどうか、電話やメールでせっせと情報交換したし、午後には北海道在住の新鷹会会員と何年ぶりかで電話で長話してしまったため、執筆再開は遅れに遅れた。
 とにかく再開はできたので、夕方から思い切ってトレーニングに出かけた。
 ほぼ5ヶ月ぶりである。
 錆付いた体をぎくしゃくと町の体育館へ運んで、負荷こそ下げたものの、1時間半かけてフルメニューをこなした。一緒にトレーニングしているのが20歳代の女性ばかり3人で、こういう時代なのだ、とあらためて女性パワーに圧倒された(誰だ? 鼻の下を伸ばしていたんだろうってツッコミを入れている奴は!)。
 すっかり錆が落ちた気分で帰宅した。
 再び書斎の執筆パソコンに向かうと、レースクィーンの壁紙が魅惑的なまなざしで私を出迎えてくれた(この瞬間、私の鼻の下が1センチは伸びていたとしても否定はしない)。

4月22−25日(水)「怒涛の日々・・・の風さん」
 日付変更線の定かでない日々を送ってしまった(笑)。
 22日(日)は夕方まで執筆に専念できたが、たいしてスピードは上がらなかった。それでもとにかく執筆再開の手応えは得られた。
 夕食後は、読みかけの本を最後まで読みきった。宮永博史先生の『セレンディピティ』である。成功の秘訣を具体例とともに解説している本だが、内容は、昔から私が信じている「サイコサイバネティクス」や後に知った「NO.1理論」と同類である。常に目的意識を持ち、前向きに生きていれば必ずチャンスは訪れ、成功の確率は高まる、というものだ。今年、19冊目となった。その後、学業に励んでいるうちに夜もしんしんと更けてしまった(娘に先に風呂に入られてしまい、就寝が遅くなってしまった)。
 23日(月)は朝から多忙だった。何とか早めに帰宅したものの、夕食後、例によってシルバーの横でぶっ倒れてしまい(その間に、ワイフにケータイで写真を撮られた)、目が覚めたら午前1時。(しまった!)と思って飛び起きた。シャワーを浴びた後、昨日の学業つまり文献読みの続きを開始し、終わったのが午前5時過ぎ。それから大野先生へメールで報告し、とりあえず出社まで仮眠することに。
 24日(火)は遅刻して出社(笑)。午後、現場を歩き回って、また疲労した。定時後になってから本社へ出張。約2時間の会議を終えて退社したが、既にへろへろ状態だった。帰宅して食事を摂ったあとは、もう何もできずダウン。
 今朝は6時半頃目が覚めていったん床から出たが、頭がフラフラしていたので、会社の同僚へ「めまいですぐ出社できない」とメールしてからまたベッドにもぐりこんだ。約2時間の睡眠時間をプラスして、再び起床。今日は、午前11時に職場へ役員がやってくるので、その前に出社していなければならなかった。ミッシェルで製作所へ滑り込んだ。セーフゥ〜(^_^;)。
 何とか仕事をこなして、早めに帰宅。こういうときこそ、と着替えてトレーニングへ。今夜もトレーニングルームは若者で賑わっていた。
 「この老人は何を夢中になって体を鍛えているのだろう?」と冷たい視線を浴びながら、フルメニューをこなした。

4月26日(木)「いくつになっても先生はありがたい・・・の風さん」
 今夜の都合で、電車で本社へ出張した。カバンの中には会社のパソコンが入っている。最近セキュリティが非常に厳しくなっていて、持ち出しが制限されている。本社で仕事をするために、昨日はちゃんと門で手続きをして退社したのだ。さらに、学業(愛工大の大学院に社会人入学したので、ときおり学生としての行動も必要になる)のため、文献のコピーがどっさりカバンに入っている。パソコンと文献でカバンは非常に重い。今日は、いつものトートバッグ風でなくビジネスバッグである。
 午前中の役員への報告会議を終えて、同僚らは製作所へ戻った。私だけは夕方本社で会議があるので残った。その間に仕事をするためにパソコンを持参したのだ。
 昼食は社外へ出た。短い時間(約40分間)だったが、知人と会って一緒に食事をした。近況を語り合ったのは2年ぶりかもしれない。私が学生という身分を手に入れたことを非常にうらやましがられた。財布から出して見せた、学生証より学割定期券の方を羨望のまなざしで見ていたようだ。
 再び会社に戻って、社内メールの処理をしながら夕方の会議までの時間を過ごした。
 夕方の会議には部下も製作所からやってきた。
 その会議が終わってすぐ、名古屋へ電車で向かった。服装も持っているカバンの中身も同じだが、気持ちが違っている。気分は学生なのである!
 JRと地下鉄を乗り継いで、本山キャンパスに着いた。ここは愛知工業大学の経営情報科学研究科のある建物で、主に社会人学生が利用する。事務室へ寄って駐車場の利用許可申請書を出した。急ぐときにはミッシェルでやってくるからだ。4階へ上がって、自動販売機で買ったコーヒーを持ってテラスに出た。黄昏時の名古屋の空はまだ明るい。まだ肌寒い風がゆるく吹いていた。
 ICチップ入りの学生証をかざしてゼミ室に入り、文献を読みながら大野先生の到着を待った。
 先生がやってきて、自習室に案内された。共用パソコンが並ぶ自習室には、文献検索システムにつながっているパソコンが置いてあり、先生の指示で私が関心を持っている文献のアブストラクトを「INSPEC」を使ってダウンロードした。かなりの数あるので、先生も手伝ってくれた。今日はプリンターが利用できなかったので、持参のUSBメモリに保存した。
 「さあ、飲みに行きますか?」
 先生の左手が器用に動いた。予定していたことなので、私は笑顔で応じた。
 本山キャンパスは正に本山交差点の角にある。人通りの多いところから少し離れて、「台所」という名の居酒屋へ入った。
 たっぷり飲んで食べて、先生におごってもらった。ごちそうさま〜! いくつになっても先生はありがたい存在だ(笑)。
 先生と別れ、地下鉄で名古屋へ向かったが、終電の2分前にホームにたどり着いた。あぶねぇー。

4月27−28日(土)「GWへ突入するも体力不足・・・の風さん」
 27日つまり連休前最終日も非常に忙しかった。5月から私の職場に来てもらう人に、3回目の現場案内をした。現場案内だけで通算6時間はかけた。それでも不十分なくらいうちの現場は雑鬧をきわめている。現場案内後は、職場の防火点検をした。その後、来客があって難しいビジネスの打ち合わせをした。この間、職場では、連休明けからの再スタートのため、席の移動や職場内の整理整頓に全員が忙しく動いていた。
 遅い昼食を摂ってから、昼食時間中に早くもミーティングを開始し、その後もまた会議の連続である。夕方になって、やっと社内メールの処理を始め、とりあえず緊急のものだけを終え、明るいうちに退社した。
 28日は昼近くに起きた。これまでの疲労がどっと出た感じである。
 天気はいいが、湿った風が吹いている。
 何とか執筆から始めることができた。雑用から手をつけるとそれだけで1日が終わってしまう。が、なかなかペースは上がらない。そのうちに、だんだん天気が怪しくなって、風が強まり、雨が降り出した。しかし、心配することもなく、雨は短時間で上がった。だいたい天気予報通りである。
 夕方からトレーニングに行った。今度こそ体力をつけないと、これからの執筆や学業をこなしていけない。連休中は2日に1度は行きたいと思っている。前回と同様に全メニューを軽くこなそうと思ったが、少々ペースが速かったようだ。最後にストレッチで終えようとマットに上がったら、若い女性もついてきた。正直にマニュアル通りに始めた。二人とも同じメニューをこなしているわけだ。しかし、開脚して前屈するような柔軟体操の場面になったら歳の差が激しく出た(笑)。何となく横で笑われている気がした。私も若ければこういう機会をとらえて女性に接近するのだろうが、・・・そんなストーリーも現実は決して許してくれなかった。突然「めまい」に襲われた私は、天井がぐるぐる回って起き上がれなくなってしまった。
 やっとのことで、電動マッサージ椅子まで這って行くと、10分間のスイッチを押した。ほとんど気を失いかけていた。
 10分が経過して、ふと我に返った。すると、隣の椅子に別の若い女性がやってきて座った。ここでも運命のすれ違いを感じた(ンな馬鹿な)。
 どうにか歩けるようになった私は、大地を確かめるように歩を進めながらトレーニングルームを後にした。

4月29日(日)「唯一のGW行事の日か・・・の風さん」
 行楽日和と呼ぶには、暑すぎるくらいの昭和の日、高校の美術科に通っている次女の希望で、東京国立博物館で開催している「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」を見学に行った。
 行きの名鉄電車で椿事があった。「キャー」とつぜん次女の腕に七星てんとう(虫)がとまった。昨今の子供は虫が苦手だ。私はそいつを捕まえて手の中に入れたまま名古屋まで行き、改札口を出、近くにあるツインタワーの植え込みのところで逃がした。
 ・・・上野公園内、東京国立博物館、「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」とは、彼の初期の作品『受胎告知』を元に、後の天才の偉業の”Stirring of Thoughts”を分析的に紹介するものだった。緻密な技法が、科学的な観察眼によるものであるなど私の心がけている文章表現と似ていて、私よりも501年前に生まれたダ・ヴィンチだが、何となく身近に感じられるようになった。
 余計なことだが、実物は『受胎告知』しか展示していないのに、厳重な警備体制とびっくりするほどの人出で、入場料も高額である。幸い、今年から学生でもある私は大学生、次女は高校生として学割で見学できた。
 昨秋見学した国立西洋美術館の外に展示してあるロダンの彫刻を次女に紹介してから、次の目的地へ移動した。
 地下鉄の竹橋駅で降りて、次女に国立近代美術館を見学させている間に、私は学士会館へ向かった。
 学士会館では「開陽丸子孫の会」の発足式が開催中で、私は事前に連絡を取り合っていた大野弥三郎の子孫の方に初めて会うことができた。『怒濤逆巻くも』の次は大野弥三郎と思っていた。『ラランデの星』を3年がかりで出版し、今秋出版予定の作品も足掛け3年がかりになっているが、そういう意味でなら、大野弥三郎は足掛け4年になっている。子孫の方は私より2歳上の歯科医で、とても闊達に大野弥三郎について教えてくれ、貴重な資料のコピーまで持参してきてくれた。次作出版の目処がついたら、やはり大野弥三郎に挑戦したい。
 昭和の日ということもあるだろう。入館無料だった国立近代美術館を見学してきた次女は満足したらしい。「教科書で観た作品があったよ」と言っていた。
 私の今日のもう一つの目的は、往復の車中で読書することだった。諸田玲子さんの『奸婦にあらず』を180ページ読み進んだ。女の情念がびっしりと書き込まれていて勉強になる。まだかなりのページ数が残っていて、なかなか読み応えがあるぞ、これは。
 帰宅したら、万歩計が12279を示していた。ヒールの高い靴を履いていた次女にはつらい旅だったようだ。

4月30日(月)「なかなか予定通りにはいかない凡人の巻」
 いよいよ今日こそ本格的に執筆専念開始・・・と心に決めてはいても、なかなか思うように行かないのが凡人のつらさ。
 実は、今日は結婚記念日だったのだが、執筆が遅れているから、というわけで、ランチを食べに行くだけで許してもらった。しかし、いちおう好きなイタリアンである。平日は主婦に占領されているレストランのランチタイムだが、今日は比較的空いていた。空いていても、サラダバーに手抜きはなく、凝ったバリエーションが並んでいて満足した。
 帰りにガソリンスタンドに寄ってミッシェルに給油するとともに、洗車もした。だいぶ前に付着した鳥の糞がしつこくて、きれいにならなかった。そこからスーパーでの買い物に付き合って、珍しく書店をチェックしていたら欲しい文庫があったので、3冊買ってしまった(いつ読めるんだろう?)。
 予定では今日はトレーニングにも行く日だったが、まだ昨日の疲労が残っているのと、少しは執筆を進めるために、断念した。
 明日はもう5月である。

07年5月はここ

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